西都ヤクルト販売地域【八王子市・多摩市・稲城市・日野市・国立市・立川市・昭島市】のプロフィール。

 

西都ヤクルトの販売地域の各市のプロフィールを調べてみました。

あらためてひも解く各市のさまざまなルーツに触れてみました。

【八王子市】

人口・面積

住民基本台帳人口 561,457人うち外国人住民 12,796人
(令和4年(2022年)3月末日現在)
世帯数
戸籍 本籍数182,565

面積:186.4 km²(ha)(東京ドームの約4,000倍)

市のプロフィール

八王子市は、東京都心から西へ約40キロメートル、新宿から電車で約40分の距離に位置しています。

地形はおおむね盆地状で、北・西・南は海抜200メートルから800メートルほどの丘陵地帯に囲まれ、東は関東平野に続いています。

本市は、大正6年(1917年)の市制施行から、平成29年(2017年)で100年を迎えました。

また、平成27年(2015年)4月に、東京都初の中核市となり、人口約58万人の多摩地区のリーディングシティとして、21の大学を抱えた学園都市として、発展を続けています。

市章

大正6年(1917年)9月1日の市制施行にあわせて、その年の12月22日に定めました。

市の木

イチョウ

追分交差点から高尾駅までの甲州街道にイチョウ並木が続いています。昭和51年(1976年)に、市制60周年を記念し選定しました。

市の花

ヤマユリ
日本特産の種類で、香りが強いことで有名です。毎年7月ころ花を咲かせ、高尾や陣馬の山々などで見ることができます。昭和51年(1976年)に、市制60周年を記念して選定しました。

市の鳥

オオルリ
オオルリは、高尾や陣馬の山々の川沿いなどで、夏になると見られる渡り鳥です。オスの体は鮮やかな青色で、声も美しく響きます。
平成3年(1991年)に、市制75周年を記念して選定しました。

「八王子」名前の由来

平安時代、華厳菩薩妙行和尚というお坊さんが、牛頭天王のお告げを受けて、牛頭天王と八人の王子を八王子権現社として深沢山(城山)という山にまつりました。

この八王子権現社を、北条氏照が深沢山に城を築く時に城の守り神としてまつったため、城は八王子城と呼ばれました。これが八王子の地名の起こりといわれています。

【多摩市】

人口・面積

人口:146,068人 [編集] (推計人口、2022年7月1日)
位置・面積
多摩市は、東経139度26分、北緯35度38分に位置し、北は多摩川を境に府中市、東は稲城市、南は神奈川県川崎市と町田市、西は八王子市と日野市に接しています。
面積は、21.01平方キロメートルです。

市章

多摩市章は、多摩市の「多」を、ハトがはばたいて飛び立つ姿にたとえて表したもので、特に真ん中の線は未来への限りない躍動と平和を力強く表しています。(昭和40年1月5日制定)

市の花

多摩市は、清流多摩川を背にした一連の丘陵と、南にのびる数条の丘陵に囲まれて形成されています。この丘は、万葉集に歌われている向の丘で、明治天皇がしばしばウサギ狩りに来遊された所でもあります。また、明治天皇が行幸したことを記念して建てられた「旧多摩聖蹟記念館」の周辺及び向の丘は古くから桜の名所として知られていました。こうしたことから市内で多く見られた「ヤマザクラ」が選ばれたようです。

市の木

「イチョウ」は、多摩ニュータウンの開発に伴い街路樹などとして多く植樹されていたこと、秋には葉が黄色く色づき美しいことなどから選ばれたようです。

市の鳥

以前の多摩市は、丘陵が多くあり、鳥や生き物が多く生息していました。

「ヤマバト」もその中のひとつで市内のどこでも見ることが出来ました。また、平和のシンボルとしても知られています。こうしたことから選ばれたようです。

市名の由来

多摩市の母体は、明治22年4月1日の市町村制の施行と共に、旧8ヶ村とニつの飛び地が合併して多摩村が誕生したことによります。

この「多摩」という語の語源については諸説ありますが、多摩川の上流の峠で山梨県丹波山地方から起こったという説が最も有力です。

上流の川の名である丹波(たば)川が生まれ、この川の名によって地域である郡名の多摩郡も称号するようになったといわれています。

なぜ「多摩村」と称することに決定したかは定かではなく、記録等も残っていません。
将来を展望し「多摩」の中心となるべく希望を込めたものではないかと思いたいところですが、実際には旧村名などから決めると諸々の問題があるため、多摩川から命名したといわれています。

また、類似の村名では、明治8年から15年に西多摩郡多摩村がありましたが、明治15年に解散していること、市町村制施行で北多摩郡多磨村(現府中市域)が成立していますが、当多摩村は南多摩郡にあるため、同郡同村名とはならないことから採用されたと考えられます。

その後、昭和39年4月1日に町制施行で多摩町になり、昭和46年11月1日の市制施行により多摩市となっています。

【稲城市】

人口・面積

人口:94,256人 [編集] (推計人口、2022年7月1日)
面積:17.97km2

市章

いなぎの「い」をイメージして作られました。市民がみんなで力を合わせて、住みよいまちづくりをしてこうという心が表されています。

市の花

いなぎの特産物である梨(なし)の花です。江戸時代から作られ始め、現在でも矢野口、押立(おしたて)、東長沼(ひがしながぬま)を中心に梨畑が広がっています。

市の木

公害に強く、街路樹にも適していて品位があるといった点から「イチョウ」が選ばれました。

市の鳥

稲城市が生まれて45年が経ったことを記念して、市の鳥として「チョウゲンボウ」が選ばれました。稲城市の自然の豊かさを示す代表的な鳥です。

【日野市】

人口・面積

人口:190,682人 [編集] (推計人口、2022年7月1日)
面積:27.55km2

市の花

「菊」
高潔な美しさで、梅・竹・ランとともに四君子の一つに数えられている、日野に縁の深いカワラノギクのかれんさが人の心を引きつけるなどの理由から市の花に選ばれました。近年、市内でも「ポットマム」を始め、園芸品種が盛んに栽培されています。
(昭和48年11月3日制定)

市の木

「かし」
生態的に最も古い木で、常に青々とした葉をつけています。実は「ドングリ」として親しまれています。成長は遅くても安定していることから、着実に発展する日野にふさわしい木です。
(昭和48年11月3日制定)

市の鳥

「かわせみ」
くちばしが尖り、体に比べ頭が大きく尾が短いことが特徴。「鳥の宝石」といわれるほど美しい姿をしています。清流を好む鳥で、緑と清流のまちを目指す日野を象徴しています。
(昭和58年9月12日制定)

「日野」という地名の由来

市域は両川の沖積低地と日野台地、多摩丘陵に位置する。
昔は飛火野(とぶひの)とよばれ飛火(のろし)をあげるに適していたことから名がつき、火野から日野になったという伝承がある。

また中世、武蔵七党(むさししちとう)の一つ日奉(ひまつり)氏の本拠地で、先祖を祀(まつ)った日野宮(ひのみや)神社が地名の由来ともいう。

【国立市】

人口・面積

人口:国立市の最新人口(8月1日付人口)
総人口76,384人:世帯数39,249世帯
面積;8.15km2

市の木

「いちょう」

市の花

「うめ」

市の色

「みどり」

市の鳥

「シジュウカラ」

国立の名前の由来

国立という名は、大正時代の末期、箱根土地株式会社によって谷保村の北部の山林が開発された際、まちの名前を選ぶときに出てきました。

当時の中央線は国分寺の次が立川で、ちょうどその真中に当たる場所に駅をつくることになっていたため、両方の頭文字を取って「国立」にしようという声が上がりました。

この案は「この地から新しい国が立つ」という願いとも相まって受け入れられたようです。
「国立」が正式名になったのは、昭和26年(1951年)4月1日です。

戦後、国立地区に移り住む人々が増え、村制から町制に移行するときに、町名をどうするかで村内の意見が分かれましたが、谷保村議会で投票の結果、「国立町」に決まりました。

国立市の市章

国立市のマークは、梅の花です。

五弁の花びらをあしらったこの市章は、いろいろな意味をもっています。
二重の外側は、「国」のかまえを表し、内側は、「立」と文教の「文」を示し、図案全体で世界五大州の意味も含んでいます。

【立川市】

人口・面積

人口:184,546人 [編集] (推計人口、2022年7月1日)
世帯数:95,680世帯2022年8月1日現在
面積:24.36km2

市の由来

「立川市」の名前の由来は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、豪族「立河(立川)」氏が館を構えて住んでいたところからつけられたといわれています。
立川という地名の由来はいくつかの説がありますが、多くは多摩川に関連して名付けられたというものが多いです。どのような説があるか図書館や歴史民俗資料館でしらべてみませんか

市章

市章とは市のシンボルマークのこと。

昭和15年12月1日、立川が町から市になったのを記念して、市民から公募して決めました。
「立川」の2文字を五角形に形どったもので、多摩地域の中心都市の立川を表しています。

市の木

「ケヤキ」
ニレ科。高さは30メートル、幹は直径2メートルにもなることもあります。特徴は幹が直立して枝が扇状になること。秋には葉が美しく色づきます。古くから武蔵野に原生しており、市民とはゆかりの深い木です。

市の花

「コブシ」
モクレン科の一種。高さ8メートルぐらいまでになり、花は2月から3月頃に咲き、よい香りがあります。花弁は6枚の白色で長さは6センチメートル程度。花言葉は「友情、歓迎」。

【昭島市】

人口・面積

総面積:17.34平方キロメートル2022年8月1日現在
人口:総人口114,265人総世帯数56,218世帯

市章

昭和29年5月に制定されました。
黒字が「昭」を表し、内側の白地の4つの「マ」が「島」を表しています。そして、円によるまとまりによって、和と団結を象徴しています。

市の木

「もくせい」

市の花

「つつじ」

市のプロフィール

昭和49年に、市制施行20周年を迎えたことを記念し、市民応募により制定されました。
得票数の多さに加え、多くの市民に親しまれている点が制定の理由になりました。

深層地下水100%のあきしまの水道水
昭島市の水道水源は、地下70メートルより深い層を流れる深層地下水をくみ上げています。

深層地下水は、地表に降った雨や雪が約30年という長い年月をかけてしみ込んだものです。
水が地層にしみ込む過程において、土壌がフィルターの役割を果たし、不純物を取り除くとともに炭酸やミネラル成分等を溶かしながらしみ込みます。
こうして流れてきた深層地下水を利用する昭島の水道は、ミネラルウォーターと変わらないおいしさです。

(市のなりたち)

昭島市は昔、海だった
昭和29年5月1日、北多摩郡昭和町と拝島村が合併し、東京都で7番目の市として誕生しました。

「昭島」という市名は、この二つの自治体名を合わせて命名されたものです。
このときの人口は36,482人でした。

(アキシマクジラ)
昭和36年(1961年)8月20日、市域の多摩川(JR八高線多摩川鉄橋の下流)の河川敷から、約200万年前(前期更新世177から195万年前)のクジラの化石がほぼ完全な形で発見されました。

化石の全長は約13.5メートル、コククジラの仲間ですが、現生のものとは異なる種類であったことから、「アキシマクジラ」と名付けられました。

まとめ

西都ヤクルトの販売地域の市のプロフィールについて調べました。

皆さまはご自分のお住まいの市についてどれだけご存じでしょうか。

この記事に関して、全て各市のホームページでの記述を抜粋して掲載いたしました。
個人的には、日野市に50年以上住みついているのですが、結婚を機に立川市と昭島市で過ごしたこともありました。

また、西都ヤクルト従事者はいずれの市を幾度となく歩き、走り、地域の方々とヤクルト商品を通じて関わっております。

あらためて、地元のことを調べてみて、口では言い表せない安堵感のようなものを感じてしまいました。
みなさまに、ささやかな幸せのおすそわけです。
尚、市章はアイキャッチに掲載しております。

 

 

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金子 美紀

1957年4月18日生まれ。 アポインターをしています。ネット応募の方を宅配センターまでご案内する仕事です。 電話や、メールの向こう側にいる方がヤクルトレディの第一歩を踏み出すためのお手伝いをしています。 趣味はカメラと神社仏閣仏像。ネイティブな物にとても惹かれます。 反面、最近はエクセルの関数にはまっています。 夢は世界を旅する写真家です。

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